2008/06/01
22:19:57
今日6月1日は写真の日だそうです。
1841年(天保十二年)、薩摩藩の商人・上野俊之丞が
フランスから輸入したカメラで藩主島津斉彬を写したのが、
日本で初めて写真撮影が行われた日だといわれている。
だが、この撮影はもう少し後のことであり、日本最古の写真は
1851年(嘉永四年)に嵐に遭った栄力丸の乗組員三人を
米国船が救助、その際に写したものだった。その一人はペリー艦隊の水夫になったという。
カメラの語源は「カメラ・オブスキュラ」。ラテン語で「暗い部屋」を意味する。
暗い部屋で、小穴から映し出された外の風景をフランスの画家たちが
目で見た通りに書き写すのに使ったのだとか。
現在のようなカメラの原型は一八三九年に誕生した。
銀板写真を発明した画家のダゲールの名前をとって
「ダゲレオタイプ」と呼ばれている。銀の化学反応を利用して映像を作る。
今のカメラと基本的に構造は同じだ。
(沖縄タイムス『今晩の話題』より)
写真の日ということなんで
自分は写真撮影をする仕事についております。
どうしてカメラマンになったのか?
ここでちょっとお話したいと思います。

高校卒業するまで、カメラのカの字もないくらい
カメラにまったく興味がありませんでした。
高校卒業しても同じで興味がなく、やりたいものも
見つからず、とりあえず大学に行こうと浪人しました。
1浪して入った学校もこれといって面白くもなく、
完全にやる気がなくなっていたのがその時期でした
そのうち学校に行く気力さえなくなり、両親に
学校辞めたいと言いましたが、もちろんせっかく入ったので
辞めることに反対する両親、もっともだと思います。
高い入学金払って、そして入ってまだ3ヶ月も経ってないのに
普通の親なら、まず間違いなく反対するでしょう。
で、次に何がやりたいわけでもなく、とりあえず今の生活から
脱却したい、逃げたいというのが一番の理由でした。
なんとかして、両親を説得しないとやばいと思い、なにか
大義名分はないかな?と探していたときに、ふと居間のテレビの横に
古い父親の使ってるカメラが置いてありました。
そうだ、カメラマンになりたいと言ってみようと!(笑)
いままでそんなそぶりさえ無かったので、なんかうまい理由をつけようと
昨年たまたま買った本がフォトジャーナリストで、写真で社会に
自分の気持ちを訴えてる、アピールしてる!そんな風に自分もなりたい
という脚本で、さも大根役者のような演技力で親に説得しました(笑)
父親からの一言、
『おまえにカメラマンなんてぜったいできるわけがない、なれるわけがない!』
母親もせっかくの学校をちゃんと卒業して欲しい・・・と
あたりまえですね、自分が親でも息子に同じことを言ったと思います
ましてや、本当になりたいわけではなく、学校を辞める口実だったんですから(苦笑)
何日も何日も、自分の気持ちを代弁するかのごとく、親を説得しました
でも、その度に親から、お前は無理だ、駄目だ・・・と何度も言われてると
心が折れるどころか、逆になんだか腹が立ってきて、見返してやるという気持ちが
おこり、ある日、父親に!
ぜってー!見てろよカメラマンになってやる!と父親に言いきってしまいました・・・
そして父親も、ついになれるもんならなってみろ!そのかわり半端なことするな。
カメラマンになれなかったら家業を継げ!と
ちなみに、家業は鮮魚商、いわゆる町の魚屋さんでした。
学費は一部出してやる、でも機材やそれ以外にかかるお金は自分で出せと!
ということで、写真学校の入学金と前期分の学費だけ出してもらい
それ以外は、深夜、地下鉄工事や24時間の立ち食いそば屋、コンビニなど掛け持ちで
バイトして、通いました、もう毎日睡眠時間も3~4時間くらいでしたからほんと
つらかったですね、でもぜーってー負けられないという気持ちが支えていて
何とか卒業できました。
それで、出版社や雑誌社、編集プロダクションなどでいろいろ撮影の仕事して
経験つんで今に至るわけですが、細かい仕事に関しての話はちょっと書けないのですみません。
(ちょっと割愛させていただきます・笑)
初めて雑誌にクレジット(撮影者・●●みたいに名前が掲載されること)が出たときに
父親がはじめて認めてくれました。
その父親も2年前に他界しましたが。
最初からなりたいわけではなかったんですね自分は、今でもあまり撮影好きでは
ないですが、仕事は面白いのでなんとか仕事になって20年目になりました。
結果思ったのは、結構思いが強ければ、心が折れなければ出来る!っておもいます。
ということで
自分の変な話にお付き合いしてくださってありがとうございました。

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1841年(天保十二年)、薩摩藩の商人・上野俊之丞が
フランスから輸入したカメラで藩主島津斉彬を写したのが、
日本で初めて写真撮影が行われた日だといわれている。
だが、この撮影はもう少し後のことであり、日本最古の写真は
1851年(嘉永四年)に嵐に遭った栄力丸の乗組員三人を
米国船が救助、その際に写したものだった。その一人はペリー艦隊の水夫になったという。
カメラの語源は「カメラ・オブスキュラ」。ラテン語で「暗い部屋」を意味する。
暗い部屋で、小穴から映し出された外の風景をフランスの画家たちが
目で見た通りに書き写すのに使ったのだとか。
現在のようなカメラの原型は一八三九年に誕生した。
銀板写真を発明した画家のダゲールの名前をとって
「ダゲレオタイプ」と呼ばれている。銀の化学反応を利用して映像を作る。
今のカメラと基本的に構造は同じだ。
(沖縄タイムス『今晩の話題』より)
写真の日ということなんで
自分は写真撮影をする仕事についております。
どうしてカメラマンになったのか?
ここでちょっとお話したいと思います。

高校卒業するまで、カメラのカの字もないくらい
カメラにまったく興味がありませんでした。
高校卒業しても同じで興味がなく、やりたいものも
見つからず、とりあえず大学に行こうと浪人しました。
1浪して入った学校もこれといって面白くもなく、
完全にやる気がなくなっていたのがその時期でした
そのうち学校に行く気力さえなくなり、両親に
学校辞めたいと言いましたが、もちろんせっかく入ったので
辞めることに反対する両親、もっともだと思います。
高い入学金払って、そして入ってまだ3ヶ月も経ってないのに
普通の親なら、まず間違いなく反対するでしょう。
で、次に何がやりたいわけでもなく、とりあえず今の生活から
脱却したい、逃げたいというのが一番の理由でした。
なんとかして、両親を説得しないとやばいと思い、なにか
大義名分はないかな?と探していたときに、ふと居間のテレビの横に
古い父親の使ってるカメラが置いてありました。
そうだ、カメラマンになりたいと言ってみようと!(笑)
いままでそんなそぶりさえ無かったので、なんかうまい理由をつけようと
昨年たまたま買った本がフォトジャーナリストで、写真で社会に
自分の気持ちを訴えてる、アピールしてる!そんな風に自分もなりたい
という脚本で、さも大根役者のような演技力で親に説得しました(笑)
父親からの一言、
『おまえにカメラマンなんてぜったいできるわけがない、なれるわけがない!』
母親もせっかくの学校をちゃんと卒業して欲しい・・・と
あたりまえですね、自分が親でも息子に同じことを言ったと思います
ましてや、本当になりたいわけではなく、学校を辞める口実だったんですから(苦笑)
何日も何日も、自分の気持ちを代弁するかのごとく、親を説得しました
でも、その度に親から、お前は無理だ、駄目だ・・・と何度も言われてると
心が折れるどころか、逆になんだか腹が立ってきて、見返してやるという気持ちが
おこり、ある日、父親に!
ぜってー!見てろよカメラマンになってやる!と父親に言いきってしまいました・・・
そして父親も、ついになれるもんならなってみろ!そのかわり半端なことするな。
カメラマンになれなかったら家業を継げ!と
ちなみに、家業は鮮魚商、いわゆる町の魚屋さんでした。
学費は一部出してやる、でも機材やそれ以外にかかるお金は自分で出せと!
ということで、写真学校の入学金と前期分の学費だけ出してもらい
それ以外は、深夜、地下鉄工事や24時間の立ち食いそば屋、コンビニなど掛け持ちで
バイトして、通いました、もう毎日睡眠時間も3~4時間くらいでしたからほんと
つらかったですね、でもぜーってー負けられないという気持ちが支えていて
何とか卒業できました。
それで、出版社や雑誌社、編集プロダクションなどでいろいろ撮影の仕事して
経験つんで今に至るわけですが、細かい仕事に関しての話はちょっと書けないのですみません。
(ちょっと割愛させていただきます・笑)
初めて雑誌にクレジット(撮影者・●●みたいに名前が掲載されること)が出たときに
父親がはじめて認めてくれました。
その父親も2年前に他界しましたが。
最初からなりたいわけではなかったんですね自分は、今でもあまり撮影好きでは
ないですが、仕事は面白いのでなんとか仕事になって20年目になりました。
結果思ったのは、結構思いが強ければ、心が折れなければ出来る!っておもいます。
ということで
自分の変な話にお付き合いしてくださってありがとうございました。

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コメント
>タケモンさん
どうも、読んでくださってありがとうございます。
心の片隅にでもおいといてくださればありがたいです。
きっかけ・・・ほんとよくわからないですね(笑)
どうも、読んでくださってありがとうございます。
心の片隅にでもおいといてくださればありがたいです。
きっかけ・・・ほんとよくわからないですね(笑)
こういう職の選択もあるのですね~!
理由はどうであれ、それでも自分で選択した道を進むのは良い事ですね。
カメラマンになる動機、興味深く読ませていただきました。
自分と比較していろいろ考えちゃいますね。^_^;
理由はどうであれ、それでも自分で選択した道を進むのは良い事ですね。
カメラマンになる動機、興味深く読ませていただきました。
自分と比較していろいろ考えちゃいますね。^_^;
pentallica│URL│2008/06/05(Thu)06:16:57│
編集
>pentallicaさん
たいしたことでもないのに最後まで読んでくださって
どうもありがとうございます。
今になっては結果オーライでしたが、どこでどうなるのか?
ほんとうにわかりません、ある意味どの道を進むのか?
選択もギャンブルですが、自分の場合一時的な気持ちの
高揚で引っ込みつかなくなった部分もあります(笑)
でも迷わず行けよ!行けばわかるさ!って言う言葉が
頭に響きますね(笑)
たいしたことでもないのに最後まで読んでくださって
どうもありがとうございます。
今になっては結果オーライでしたが、どこでどうなるのか?
ほんとうにわかりません、ある意味どの道を進むのか?
選択もギャンブルですが、自分の場合一時的な気持ちの
高揚で引っ込みつかなくなった部分もあります(笑)
でも迷わず行けよ!行けばわかるさ!って言う言葉が
頭に響きますね(笑)
へぇ~、カメラマン・スーパーサイドバックさんの誕生秘話!
ですね(笑) 興味深く読ませて頂きました☆
でも、元々カメラ好きだった訳でもなく、たまたま口実で・・・
だったものが、結局「面白い」と言えるお仕事になったのなら、
ホント、何て言うかご縁というか・・・不思議なモノですね~
しかし、「負けられない」という気持ちだけで、厳しい生活にも
負けなかったスーパーサイドバックさんは意志が強いんだなあ~と。
(途中から、やっぱりカメラが面白くなってた、というのもあるのかな?
とも思いますが。。) 見習わなくちゃ、と思いました☆ ( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
ですね(笑) 興味深く読ませて頂きました☆
でも、元々カメラ好きだった訳でもなく、たまたま口実で・・・
だったものが、結局「面白い」と言えるお仕事になったのなら、
ホント、何て言うかご縁というか・・・不思議なモノですね~
しかし、「負けられない」という気持ちだけで、厳しい生活にも
負けなかったスーパーサイドバックさんは意志が強いんだなあ~と。
(途中から、やっぱりカメラが面白くなってた、というのもあるのかな?
とも思いますが。。) 見習わなくちゃ、と思いました☆ ( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
>まるたん星人さん
お粗末な、お話に最後まで読んでくださり
どうもありがとうごじます。
おっしゃってるような、そんなたいそうな話では
ありませんので(^^;)
カメラが面白いというか、撮影の仕事の環境が
同じというのがないので、面白かったのかもしれません
意思が強いというか、負けず嫌いなんですね(苦笑)
見習う・・・なんてとんでもないです
猫に対するまるたん星人さんの方が凄いですって♪
お粗末な、お話に最後まで読んでくださり
どうもありがとうごじます。
おっしゃってるような、そんなたいそうな話では
ありませんので(^^;)
カメラが面白いというか、撮影の仕事の環境が
同じというのがないので、面白かったのかもしれません
意思が強いというか、負けず嫌いなんですね(苦笑)
見習う・・・なんてとんでもないです
猫に対するまるたん星人さんの方が凄いですって♪
スーパーサイドバック│URL│2008/06/07(Sat)07:18:40│
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良い話ですねー。
今ではバリバリのカメラマン!
なんだか色々と考えちゃいましたよー。
何がきっかけになるかわからないですもんねー。
そういえばタケモンも・・・。