2009/07/30
23:48:22
まずは万歳~~~~!!!
自分の母校が本日決勝で
大量得点、普通ならコールドですがさすがに、決勝はないそうで・・・
勝って甲子園出場決めました!!!
おめでとう!!!
OBとして嬉しいです♪甲子園優勝もう一回みたいです
頑張ってください、後輩達!!!
さて皆さん、前回の占いのアンケートに
多数参加いただきありがとうございました。
やっぱり入らない人が多いようですね~
そして占いとか、血液型診断とか、星座占いとかそういうのに
興味ある人多いですよね!
そういえば以前、一年前くらいにこんな記事書いたの思いだしました。
あらためて、また書きます
==================
ちょっと面白いエッセイを発見しましたんで。
よかったら見てください。
R25という雑誌で隔週で掲載されてる
高橋秀実さんという方がかかれたもので
「結論はまた来週に」という
エッセイのコーナーで
今回は『自己分析はほどほどに』というタイトルです
興味深かったのでぜひ皆さんも読んでみてください。
ある就職コンサルタントによると、昨今の大学生は「自己分析」がとても好きらしい。血液型性格診断やら心理テストの類いが大好きで、就活の講習でも「自己分析」と聞いただけで目の色を変えて取り組むそうだ。そして自分は「社交的な性格」などと決めて、だから「人の役に立つ仕事がしたい」と就職活動に邁進したりする。ところが実際に入社してみると毎日雑用ばかりで「自分に合わない」などとショックを受け、すぐに辞めてしまうというのである。この不況の折に。
勝手に「自分の性格」を決めて、勝手に「自分に合わない」と辞めていく。これではひとり相撲ではないか。
そういえば、こんな話も聞いたことがある。自分の血液型はB型だとずっと思っていた人が、ある日検査を受けたら実はA型だったことが判明。それ以来、彼は神経質な性格になったというのである。A型だから神経質でなければと言わんばかりに。
なぜ、彼らは性格を決めたがるのだろうか?
性格を決めると型にハマって安心するのだろうか。特に血液型の場合、4つの型しかないのでわかりやすく、それぞれ役割のようなものがあるので、自分のポジションを確保できるとでも思うのだろうか。そのせいか、自分の性格を決めたがる人は、他人の性格も決めたがるようだ。
「この心理テスト当たるんです。絶対当たります」
ある人があまりに自信ありげにすすめたので、私もテストを受けたこともある。それはカードに書かれた質問に対して「YES」「NO」で答えるものだった。
「割り切りは早いほう?」
いきなり私は考え込んだ。どちらかというとじっくり考えるほうだが、いざとなったら割り切りは早いほうかもしれない。しかし割り切る前にじっくり考えるということは割り切りが遅いのと同じではないか、などと考えあぐねていると、彼は「すぐ答えて! 反射的でないと意味がない」と私を急かした。もうしっかり考えてしまっていたので、反射的な境地には後戻りができず、「もういいや!」と「YES」にした。せっかちにされるとこちらまでせっかちになる。性格をテストするというより性格を強要するかのようなのである。
歴史をさかのぼれば、心理テストで最も愛用されてきたのはロールシャッハテストだ。意味不明の絵を見せて「何に見えるか?」と問うテスト。人がそこに投影させるものから性格を診断するものなのだが、ある実験で「正常な人の80%近くが、うつ病や深刻な性格上の問題をもっていると判定」(『ロールシャッハテストはまちがっている』J・Mウッド他著 北大路書房)されることがわかったらしい。性格の歪みを見つけ出すつもりが、「性格の歪み」をつくり出してしまう。いずれにせよ、性格を型にハメようとすると必ず歪みが生じるのである。
先日、私はある取材で、ひとりの手相見に「あなたはすごく真面目な性格ですね」と言われた。言われてみれば確かに真面目だと思い、私は居住まいを正した。ところが別の手相見に「あなたは飽きっぽい性格ですね」と指摘されると、私も「いやあそうかもしれませんね」などと、妙にサバサバした口調になった。「本当はもうどうでもいいと思っているでしょう?」と問われると、その勢いでつい「そうですね」と答えてしまい、知らず知らずのうちにすっかり鑑定通りの性格になっていたのである。
性格は時と場合、そして相手次第。自分の中にあるものではなく関係の産物なのである。
自己分析はほどほどに。
と私は言っておきたい。人の性格は基本的に大差がないと私は思う。誰もが自分を認められたいと願っており、そのために「他人の性格」と「自分の性格」を想定したがるロマンチストなのである。
高橋秀実(たかはし・ひでみね)
1961年横浜市生まれ。東京外大モンゴル語学科卒。著作に『素晴らしきラジオ体操』(小学館)、『にせニッポン人探訪記』『からくり民主主義』(草思社)『トラウマの国』『はい、泳げません』(新潮社)、『センチメンタルダイエット』(アスペクト)など
R25より
いかがでしたでしょうか?
自分はなるほどと思って感心しちゃいました♪
===================
というものでした
皆さん、あらためていかがですか?
なんか今読んでもなるほどだなあって思ってしまいます。
長い文章読んでくださってありがとうございました。


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自分の母校が本日決勝で
大量得点、普通ならコールドですがさすがに、決勝はないそうで・・・
勝って甲子園出場決めました!!!
おめでとう!!!
OBとして嬉しいです♪甲子園優勝もう一回みたいです
頑張ってください、後輩達!!!
さて皆さん、前回の占いのアンケートに
多数参加いただきありがとうございました。
やっぱり入らない人が多いようですね~
そして占いとか、血液型診断とか、星座占いとかそういうのに
興味ある人多いですよね!
そういえば以前、一年前くらいにこんな記事書いたの思いだしました。
あらためて、また書きます
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ちょっと面白いエッセイを発見しましたんで。
よかったら見てください。
R25という雑誌で隔週で掲載されてる
高橋秀実さんという方がかかれたもので
「結論はまた来週に」という
エッセイのコーナーで
今回は『自己分析はほどほどに』というタイトルです
興味深かったのでぜひ皆さんも読んでみてください。
ある就職コンサルタントによると、昨今の大学生は「自己分析」がとても好きらしい。血液型性格診断やら心理テストの類いが大好きで、就活の講習でも「自己分析」と聞いただけで目の色を変えて取り組むそうだ。そして自分は「社交的な性格」などと決めて、だから「人の役に立つ仕事がしたい」と就職活動に邁進したりする。ところが実際に入社してみると毎日雑用ばかりで「自分に合わない」などとショックを受け、すぐに辞めてしまうというのである。この不況の折に。
勝手に「自分の性格」を決めて、勝手に「自分に合わない」と辞めていく。これではひとり相撲ではないか。
そういえば、こんな話も聞いたことがある。自分の血液型はB型だとずっと思っていた人が、ある日検査を受けたら実はA型だったことが判明。それ以来、彼は神経質な性格になったというのである。A型だから神経質でなければと言わんばかりに。
なぜ、彼らは性格を決めたがるのだろうか?
性格を決めると型にハマって安心するのだろうか。特に血液型の場合、4つの型しかないのでわかりやすく、それぞれ役割のようなものがあるので、自分のポジションを確保できるとでも思うのだろうか。そのせいか、自分の性格を決めたがる人は、他人の性格も決めたがるようだ。
「この心理テスト当たるんです。絶対当たります」
ある人があまりに自信ありげにすすめたので、私もテストを受けたこともある。それはカードに書かれた質問に対して「YES」「NO」で答えるものだった。
「割り切りは早いほう?」
いきなり私は考え込んだ。どちらかというとじっくり考えるほうだが、いざとなったら割り切りは早いほうかもしれない。しかし割り切る前にじっくり考えるということは割り切りが遅いのと同じではないか、などと考えあぐねていると、彼は「すぐ答えて! 反射的でないと意味がない」と私を急かした。もうしっかり考えてしまっていたので、反射的な境地には後戻りができず、「もういいや!」と「YES」にした。せっかちにされるとこちらまでせっかちになる。性格をテストするというより性格を強要するかのようなのである。
歴史をさかのぼれば、心理テストで最も愛用されてきたのはロールシャッハテストだ。意味不明の絵を見せて「何に見えるか?」と問うテスト。人がそこに投影させるものから性格を診断するものなのだが、ある実験で「正常な人の80%近くが、うつ病や深刻な性格上の問題をもっていると判定」(『ロールシャッハテストはまちがっている』J・Mウッド他著 北大路書房)されることがわかったらしい。性格の歪みを見つけ出すつもりが、「性格の歪み」をつくり出してしまう。いずれにせよ、性格を型にハメようとすると必ず歪みが生じるのである。
先日、私はある取材で、ひとりの手相見に「あなたはすごく真面目な性格ですね」と言われた。言われてみれば確かに真面目だと思い、私は居住まいを正した。ところが別の手相見に「あなたは飽きっぽい性格ですね」と指摘されると、私も「いやあそうかもしれませんね」などと、妙にサバサバした口調になった。「本当はもうどうでもいいと思っているでしょう?」と問われると、その勢いでつい「そうですね」と答えてしまい、知らず知らずのうちにすっかり鑑定通りの性格になっていたのである。
性格は時と場合、そして相手次第。自分の中にあるものではなく関係の産物なのである。
自己分析はほどほどに。
と私は言っておきたい。人の性格は基本的に大差がないと私は思う。誰もが自分を認められたいと願っており、そのために「他人の性格」と「自分の性格」を想定したがるロマンチストなのである。
高橋秀実(たかはし・ひでみね)
1961年横浜市生まれ。東京外大モンゴル語学科卒。著作に『素晴らしきラジオ体操』(小学館)、『にせニッポン人探訪記』『からくり民主主義』(草思社)『トラウマの国』『はい、泳げません』(新潮社)、『センチメンタルダイエット』(アスペクト)など
R25より
いかがでしたでしょうか?
自分はなるほどと思って感心しちゃいました♪
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皆さん、あらためていかがですか?
なんか今読んでもなるほどだなあって思ってしまいます。
長い文章読んでくださってありがとうございました。


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