2008/03/17
12:57:43
今日は3月17日、お彼岸の入りの日です。
暑さ寒さも彼岸まで、なんてよく言いますが、東京はこのところ
だいぶ温かくなってきて、昼間は厚手の上着は要らないくらいです。
今日は自分も午前中に時間有りましたので、お墓参りに行ってきました。
お墓の事情にもよりますが、うちは徒歩10分くらいのところにある
お寺の墓地にありますので、行くのは楽です、
今は離れたところの霊園や墓地に代々のお墓がある家も多い
という話を聞くと、自分の家は近くでよかったなあとあらためて
実感します。
そもそもお彼岸でなぜお墓参りなんでしょうか?
彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。
「彼岸会(ひがんえ)」は、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事のこと。暦の上では最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」なお、地方によっては最後の日を「はしりくち」という地方もある。
彼岸の仏事は浄土思想に由来する。浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいている。心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようだ。しかし、天皇の詔として仏教思想を全国に広げることを意図して始められた行事であったがいつの時代も、人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至った。
彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」からきているともいえる。日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのである。仏教語の彼岸は後から結びついたものであるという説(五来重による)もある。
だそうです。(ウィキペディより)
皆様、お時間が有りましたら、ぜひとも
祖先の供養をしてあげてください。

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暑さ寒さも彼岸まで、なんてよく言いますが、東京はこのところ
だいぶ温かくなってきて、昼間は厚手の上着は要らないくらいです。
今日は自分も午前中に時間有りましたので、お墓参りに行ってきました。
お墓の事情にもよりますが、うちは徒歩10分くらいのところにある
お寺の墓地にありますので、行くのは楽です、
今は離れたところの霊園や墓地に代々のお墓がある家も多い
という話を聞くと、自分の家は近くでよかったなあとあらためて
実感します。
そもそもお彼岸でなぜお墓参りなんでしょうか?
彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。
「彼岸会(ひがんえ)」は、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事のこと。暦の上では最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」なお、地方によっては最後の日を「はしりくち」という地方もある。
彼岸の仏事は浄土思想に由来する。浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいている。心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようだ。しかし、天皇の詔として仏教思想を全国に広げることを意図して始められた行事であったがいつの時代も、人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至った。
彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」からきているともいえる。日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのである。仏教語の彼岸は後から結びついたものであるという説(五来重による)もある。
だそうです。(ウィキペディより)
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