2008/03/03
15:12:43
3月に入りました、卒業やら進学、進級で、就職、転勤、部署移動、転職・・・etc
で別れもあれば、出会いもあり、また年度末で片づけやら、準備やら
いろいろと忙しい時ではないでしょうか。
もう10年以上も前になりますが、仕事でいろいろお世話になった会社があります
そこの社員のAくん、この子は金属10年目の中堅どこ、もう一人前に仕事を
こなして無くてはいけません、しかし、やる気はあるし、一生懸命さは感じるのですが
いかんせん、要領が悪く、詰めが甘い、なかなか結果が伴わないんですね・・・
しかし、本当に気力は凄くてみていて気持ちいいんですが(笑)
ある年の3月、いまくらいですね
ついにAくん以外の同僚はもう、主任や係長クラスになっていて、Aくんだけまだ
肩書きがもらえません・・・
やはり結果がすべての成績と言う会社ですからしょうがないのですが。
でもその一生懸命さをかって、何とかならないかな?と部長、課長が考えた
苦肉の策のその肩書きは!そして掲示板に張られた辞令は!
Aくん殿
第●営業部・係長代理補佐を命じる
それを見てた社員みんなは・・・えっ??
係長の代理の補佐?それって普通の社員とどう違うの?
自分も聞いたときにはびっくりしました(笑)
でも当のAくんは、がんばります!と張り切っていたそうで、
良かったのかな?(苦笑)
でもなんて言って呼ばれるのだろうか?
A係長代理補佐!・・・呼びにくいし、電話や名刺もめんどくせー(笑)
それからどうなったかな~Aくん・・・(笑)

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で別れもあれば、出会いもあり、また年度末で片づけやら、準備やら
いろいろと忙しい時ではないでしょうか。
もう10年以上も前になりますが、仕事でいろいろお世話になった会社があります
そこの社員のAくん、この子は金属10年目の中堅どこ、もう一人前に仕事を
こなして無くてはいけません、しかし、やる気はあるし、一生懸命さは感じるのですが
いかんせん、要領が悪く、詰めが甘い、なかなか結果が伴わないんですね・・・
しかし、本当に気力は凄くてみていて気持ちいいんですが(笑)
ある年の3月、いまくらいですね
ついにAくん以外の同僚はもう、主任や係長クラスになっていて、Aくんだけまだ
肩書きがもらえません・・・
やはり結果がすべての成績と言う会社ですからしょうがないのですが。
でもその一生懸命さをかって、何とかならないかな?と部長、課長が考えた
苦肉の策のその肩書きは!そして掲示板に張られた辞令は!
Aくん殿
第●営業部・係長代理補佐を命じる
それを見てた社員みんなは・・・えっ??
係長の代理の補佐?それって普通の社員とどう違うの?
自分も聞いたときにはびっくりしました(笑)
でも当のAくんは、がんばります!と張り切っていたそうで、
良かったのかな?(苦笑)
でもなんて言って呼ばれるのだろうか?
A係長代理補佐!・・・呼びにくいし、電話や名刺もめんどくせー(笑)
それからどうなったかな~Aくん・・・(笑)

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2008/03/03
14:48:09
一年中がぁ~ひなまちゅりぃ~~♪っていう
ミニモニの歌が一瞬頭をよぎりました(笑)
今日は3月3日のひな祭り、女の子の節句ですね~♪
今日まで、雛人形飾ってるお家も多いのではないでしょうか
ではここでひな祭りの由来と歴史を
日本には昔から季節の変わり目に体を清め、厄を祓う習慣がありました。
現在も残る端午(五月五日)や七夕(七月七日)をはじめとする五節句はもとは中国から渡ってきた習慣です。
古代中国では3月の最初の「巳(み)」の日に水で体を清め、宴会を催し厄を祓うという祭りがありました。
その「上巳の節句」が日本に伝わり、日本古来からあった人形(ひとがた)に厄を移す風習などと混ざり合い、平安時代になると、祈祷師を呼んで祈りをささげ、人形をなでて厄を移し、供物を備えて水に流すと言った祭りが毎年行われるようになっていきました。
またそのころ、上流階級の女の子の間で「ひいな遊び」といって、紙で作った人形と身の回りの品に似せてつくったおもちゃの家財道具を使った、ままごと遊びが盛んに行われていたようです。
平安時代の随筆や物語にもそのような場面が登場します。室町時代には上巳の節句の厄祓い行事は3月3日にほぼ定まってきましたがこの頃はまだ禊ぎの行事として人形を流していたようです。
その後戦乱の世が落ち着いた江戸時代になって、宮中行事としてひな祭りが取り入れられ、その後幕府の大奥でも取り入れられました。
そのうち上流階級のものであったひいな遊びなどが庶民に親しまれ、女の子の初節句を人形を奉ってお祝いするという形が定着しました。
初期は内裏びな1対にお供え物をして祝うという形だったのが、江戸中期には段飾りが登場し、三人官女をはじめとする付属の雛人形や雛道具の数が増えました。
将軍家へのお嫁入りの際に嫁入り調度とまったく同じミニチュアを雛人形とともに持っていった例もあります。
庶民の間でも3月3日が近くなるとあちこちにひな市が並び、流行を競い大変なにぎわいを見せていたということです。
この時代の贅をつくした雛人形は九州の大分県日田市の天領日田おひなまつりで見ることができます。
日田は天領、つまり江戸幕府の直轄地であり、華やかで裕福な町人文化が栄えた所です。
この地の旧家はそれぞれの家が代々素晴らしい雛人形を所有しており、ひなまつりの期間、それを各家で一般公開し、鑑賞できるようになっています。
その後明治以降になるとひな祭りは農村にまで普及し、現在に至る形になっています。
今ではキャラクターものの雛飾りや、雛人形とともに女の子の数だけ買われて一緒に飾られる市松人形も、可愛らしいカールのアップヘアのものなども出てきています。
また、「親王飾り」と呼ばれる内裏びな二人だけの物も、モダンで美しい背景の中に表情のあるポーズをとった人形が優雅に置かれている物なども登場してきています。
これなら最近の住宅事情でも邪魔にならずお洒落なインテリアとして飾ることができます。
また祝い方もちらし寿司や蛤のお吸い物などの代表的なひな祭り料理と共に、洋菓子メーカーのケーキを利用する家も増えています。ちょうど苺の美味しい季節なので、苺を使った可愛いケーキのレシピもたくさん紹介されます。
この飾りびなの変遷とは別に、災いを川や海へ流す禊ぎの意味を持つ流しびなも各地方で根強く残っています。
ささ船に千代紙で作ったおひなさまを神社に奉納、ご祈祷後、着飾った幼児の手で川へ流す様子は本当に風流なものです。
他にも桟俵(さんだわら)という稲穂で編んだ船に乗せて流すなど全国各地でその風習が残っています。
(ひな祭りの歴史より)
だそうです、勉強になりました。
たしか
雛人形を早くしまわないと、婚期が遅れるって聞いたことありましたが・・・
次は5月の男の子の節句でまたお会いしましょう(笑)

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ミニモニの歌が一瞬頭をよぎりました(笑)
今日は3月3日のひな祭り、女の子の節句ですね~♪
今日まで、雛人形飾ってるお家も多いのではないでしょうか
ではここでひな祭りの由来と歴史を
日本には昔から季節の変わり目に体を清め、厄を祓う習慣がありました。
現在も残る端午(五月五日)や七夕(七月七日)をはじめとする五節句はもとは中国から渡ってきた習慣です。
古代中国では3月の最初の「巳(み)」の日に水で体を清め、宴会を催し厄を祓うという祭りがありました。
その「上巳の節句」が日本に伝わり、日本古来からあった人形(ひとがた)に厄を移す風習などと混ざり合い、平安時代になると、祈祷師を呼んで祈りをささげ、人形をなでて厄を移し、供物を備えて水に流すと言った祭りが毎年行われるようになっていきました。
またそのころ、上流階級の女の子の間で「ひいな遊び」といって、紙で作った人形と身の回りの品に似せてつくったおもちゃの家財道具を使った、ままごと遊びが盛んに行われていたようです。
平安時代の随筆や物語にもそのような場面が登場します。室町時代には上巳の節句の厄祓い行事は3月3日にほぼ定まってきましたがこの頃はまだ禊ぎの行事として人形を流していたようです。
その後戦乱の世が落ち着いた江戸時代になって、宮中行事としてひな祭りが取り入れられ、その後幕府の大奥でも取り入れられました。
そのうち上流階級のものであったひいな遊びなどが庶民に親しまれ、女の子の初節句を人形を奉ってお祝いするという形が定着しました。
初期は内裏びな1対にお供え物をして祝うという形だったのが、江戸中期には段飾りが登場し、三人官女をはじめとする付属の雛人形や雛道具の数が増えました。
将軍家へのお嫁入りの際に嫁入り調度とまったく同じミニチュアを雛人形とともに持っていった例もあります。
庶民の間でも3月3日が近くなるとあちこちにひな市が並び、流行を競い大変なにぎわいを見せていたということです。
この時代の贅をつくした雛人形は九州の大分県日田市の天領日田おひなまつりで見ることができます。
日田は天領、つまり江戸幕府の直轄地であり、華やかで裕福な町人文化が栄えた所です。
この地の旧家はそれぞれの家が代々素晴らしい雛人形を所有しており、ひなまつりの期間、それを各家で一般公開し、鑑賞できるようになっています。
その後明治以降になるとひな祭りは農村にまで普及し、現在に至る形になっています。
今ではキャラクターものの雛飾りや、雛人形とともに女の子の数だけ買われて一緒に飾られる市松人形も、可愛らしいカールのアップヘアのものなども出てきています。
また、「親王飾り」と呼ばれる内裏びな二人だけの物も、モダンで美しい背景の中に表情のあるポーズをとった人形が優雅に置かれている物なども登場してきています。
これなら最近の住宅事情でも邪魔にならずお洒落なインテリアとして飾ることができます。
また祝い方もちらし寿司や蛤のお吸い物などの代表的なひな祭り料理と共に、洋菓子メーカーのケーキを利用する家も増えています。ちょうど苺の美味しい季節なので、苺を使った可愛いケーキのレシピもたくさん紹介されます。
この飾りびなの変遷とは別に、災いを川や海へ流す禊ぎの意味を持つ流しびなも各地方で根強く残っています。
ささ船に千代紙で作ったおひなさまを神社に奉納、ご祈祷後、着飾った幼児の手で川へ流す様子は本当に風流なものです。
他にも桟俵(さんだわら)という稲穂で編んだ船に乗せて流すなど全国各地でその風習が残っています。
(ひな祭りの歴史より)
だそうです、勉強になりました。
たしか
雛人形を早くしまわないと、婚期が遅れるって聞いたことありましたが・・・
次は5月の男の子の節句でまたお会いしましょう(笑)

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